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もうひとつの京都 第7回目 『錦市場 鮮魚木村』

「錦市場」の歴史は古い。それゆえに、今 『 京の台所 』
としての役割を担い、市民に大変親しまれているのです。



掲載日 2006.8.3

「 錦市場 」が魚鳥の市場として開設された年月は、おおよそ400年前、豊臣秀吉の天下統一後と推定されます。
人口の密集した中枢部にあたること、きれいな地下水が豊富に湧き出たため、魚鳥の貯蔵に適していたこと、そのために御所への魚鳥の納入の往き帰りに自然と市場ができたと言われています。
江戸時代に入り、幕府より魚問屋の称号が許され、上の店、錦の店、六条の店の三ヵ所 が繁栄を極めました。その中でも、錦に店を持つ商人は、公儀から鑑札を得ることによ り独占的な営業を可能にすることが出来ました。
1770年には錦小路高倉に青物立売市場が認められ、9年後には魚問屋のそばに 野菜市場まで開かれるようになりました。
しかし、明治に入ると三店魚問屋の特権が廃止され、これにより魚問屋も自由に開放営 業することとなります。この影響で同業者間の競争が激化し、 明治16年頃になると倒産が相次ぎ、問屋数もわずか7店舖ほどになってしまいました。

その後、同業組合等を設け、規約を厳守し、弊害を避ける事に勤めた結果、再び繁栄を 取り戻したのです。
昭和2年に京都中央卸売市場が開設されたため錦の卸売業者の多くが移転をし 始めます。それにもかかわらず、残った店、新しく入った店が協力し、錦盛会、錦栄会等の組織を作り、卸問屋としてだけではなく、小売り専門の店舗も誕生したのです。
そして、それらの組織も京都錦市場商店街振興組合へと発展していきました。

今では、テレビや雑誌で紹介されるようになり、訪れる約半数の人が観光客や地方から 来る人であり、みやげもの屋さんのような店も増えています。
時代の流れの中で存続し ていくためには、そういう変化もある程度は必要なのかもしれません。
しかし、「錦市場」の基本は
魚鳥、野菜等の生鮮食料品の市場
なのです。

鮮魚の「木村」さんの夏のオススメはやはり 「 鱧 」
「今年は日本産も韓国産もかなり良い、脂ものって値段もてごろ」と教えてくれました 「錦にくれば必ずある、買うのは錦のものでないとあかん」
この精神で卸に、小売りにと京の食文化を担っている、歴史ある『京の台所』なのです 「ええもん」「ほんまもん」を歴史と伴に受け継いだのが「錦市場」なのです。
鮮魚 木村

〒604-8125
京都市中京区錦小路柳馬場西入
TEL.075-221-1639(1466) 
FAX及夜間留守電.075-221-1639




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