今回は、前回と同じく 大阪は富田林にある
「柿渋和紙工房」さん。
お店の商品は、富田林市ブランドにも
選ばれているそうです。
ふさふさの白髪(これにも秘密があるです)
をなびかせた、斎藤由光さん、
ほっと させられる笑顔の斎藤いく子さんに
さっそくお話を伺います 。
Q: 屋号にもなっている柿渋和紙の歴史を
教えていただけますか?
「和紙は中国から島根を経由して、
お坊さんが運んできたものなのですよ。
そして
平安時代はお坊さんが、
戦国時代にはお武家さんが
紙子・神衣・紙衣(かみこ)と呼んで
高級品として着用していました。」
Q: それが一般的になったのはいつの頃ですか?
「江戸時代ですね。
和紙の生産も増え、和紙問屋や
和紙を二枚に張り合わせた反物問屋が
日本中にできました。」
Q: 衰退したのは?
「西洋文化が入ってきて、なくなっていきました。
300年は続いていたのですが。」
Q: それを復活されたきっかけは何だったのですか?
「この工房とは別に、
揉む機械を造っている会社があり
揉む素材を探していたのです。
その時に三宅一生さんが和紙の洋服をデザインして
発表したので、『これだ!!』と思い和紙の洋服を
俄然やる気になったんです。」
Q: あの有名なデザイナーの三宅一生さんですか?
「そうです。
和紙を揉み反物が出来た方法を知りたくて、
東北まで行きました。
でも、
その答えは意に反してボンドということでした。
それなら他の方法で出来ると思いました。
その後、独自で5年間研究を続けましたが、
やはり和紙は破けてしまいました。」
Q: 5年間もですか…
(斎藤いく子さん)
「貼ったものが剥がれてしまう。
この時が一番の苦労でしたね(笑)」
「一回の試験を頼むのに相当な金額がかかっていたので、
もう半分はあきらめかけて試験も出来なくなりかけて
いました。
そこへ友達から布と貼ったらと言われ、
渋々実験したら布が縮んで和紙も一緒に縮み
洗っても破れない反物が出来たのです。
嬉しくてすぐに特許を申請し収得しました。」
Q: では、和紙の洋服を作る工程を見せていただけますか。
「レーヨンと貼った和紙をこうして柿渋液の中で揉みます。
揉んで染み込ませるのがなかなか大変ですが、次第に縮んで和紙が強くなるんです。」
Q: 和紙の色づけはどうするのですか?
「それは、最初に和紙を良く揉み込みます。
こうして出来たものを、板に張り、環境にやさしい都染の染料で染め、干します。
この作業を繰り返して行います。柿渋の匂いなどはこのときに酢を用いて消していきます。」
Q: そうすると、反物を作るまでにどの位の日数がかかるのですか?
「この期間が一番長くかかるところで、約3ケ月ですね。
和紙にも革の風合いが出てきますね。」
Q: この手間のかかり具合はすごいですね。この工程は全て斎藤さんがお考えになったのですか?
「はい、研究しながら自力で考えました。」
Q: 出来上がった素材の裁断や縫製はどなたが?
「家内も手伝いますが、
前に人工皮革を扱っていたので主に私がやります。」
Q: デザインは?
「人に頼んでもいましたが、
今は自分で型紙からアレンジしたり
独学で色々と勉強しながらやっています。」
Q: 手づくり市に出展されたきっかけは?
「友達に6年前に聞いてからですね。
他のイベントやデパートにも出していましたが、
結構な手間をとりますね。」
Q: そうですね、売上から%は引かれますしね。
今日の働いた売上げは、今日自分で頂けるのが
手づくり市の良さでもありますからね。
Q: 斎藤さんの夢はなんですか?
「この素材の天然UVカットと超保湿性で
体に優しい健康商品をつくることですね。
和紙の帽子を被っているから、
頭皮にもう一つの皮膚が出来たのと同じで、
状態が良くこの歳でも髪の毛がこんなに
ありますよ。(笑)」
何でも自力でやってこられた斎藤さんは、本当にものつくりが好きなのだなと感じました。
そして最後にもう一つ、絵を描くことも好きとのことでこんな写真もとりました。
終始にこやかに笑っていて下さった奥様、ありがとうございました。
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