母方がアート関連に従事し、父は海外が大好き。
この環境の下で育ち、小さなときから絵を描くことが好きで、高校から美術系へと
進まれたのが、今回おじゃましました「irohan kyoto」の吉田純さん。
この後、海外留学をされArtの道へと向かわれますが… …
色々なことが待ち受けておられました。早速、お話を伺いたいと思います。
Q: 屋号の irohan Kyoto の意味を
教えていただけますか?
「僕は、
人はそれぞれが持たれている色があると思っていまして、
それを京都のはんなり文化に沿って
はんなりに表現していきたいと考えました。
<色>・<はんなり>・<京都>
これらをまとめて名づけました。」
Q: 小さな時からアートに関心があったのですか?
「母方の実家がアート関連の仕事をしていたので
絵を習ったりしていました。
父方の実家は海外旅行が好きで、
小さな時から一緒に連れて行ってもらうこともあり、
僕も絵を描くことが好きでしたから
珍しい外国の風景を描いたり、小さいながら
建物や車のデザインにも興味をもち、
これを海外でやってみたい夢をもったのですね。
ですから高校も普通の高校ではなく、高校の単位は
取れるけど英語と美術の勉強だけみたいな
美術専門の学校へ行きました。」
Q: どこへ留学されたのですか?
「特にカラーリングの勉強をしたかったので、
アブストラクトアートを学ぼうと思い
シアトルへ行きました。
でも現実は、
最初の1年はアートの勉強よりも
英語だけでボコボコにされました(笑)。」
Q: どれくらい行かれていたのですか?
「4年半くらいですね。」
Q: 何故日本に戻られたのですか?
「留学中に父親が脳梗塞と心筋梗塞で倒れた
との連絡が入り、帰国しないと後悔が残ると
思い帰国しました。
でも、お陰様で
今は回復して元気ですけどもね(笑)。」
Q: 戻られてからirohan Kyotoを始められたのですか?
「いえ、親の仕事の絡みから親孝行のつもりで
帰国10日後にサラリーマンになりました。
ですけど、
何でも頑張る方なのですが
会社の方針と自分の想いが重ならず、
1年半で退社しました。
またこの前後に、
自分でも気付かず色々と天狗になっていた時期もあり、
友達が離れていき、色々と人の繋がりや社会勉強をしました。
でも、どちらかと言えば僕は前向き人間なので
この経緯から
やはり物創りの道へ進もうと、キャンバスから布に、
筆をミシンやマウスに持ち替え可能性を求めて
バッグ創りに移行していきました。」
Q: irohanさんの商品は
パパが似合うがテーマだそうですが、
イクメンについて教えて下さい。」
「僕も2児の父親なので閃いたのですが、
母親がもつ子育てのバッグはあるけど
父親の持つ道具を入れるバッグがないと思い、
パパが持っても似合う
イクメン用のバッグを扱っています。
父親が楽しんで子育て出来るアイテムになっています。」
Q: お店に来られるお客さんに特徴はありますか?
「お客さんの半分は外国の方ですね、
それで後の半分は最近は観光客の方です。
でも僕が接客すると売れませんね、
怖く見えるのか帰られてしまいます(笑)。
でも、妻が接客すると買われていくのですけどね。」
Q: これからの目標はなんですか?
「次世代のこどもたちを自由な発想が出来る
環境の中で育てたいですね。
アート教室を開いて6年目になりますが、
子どもの描いている絵を通して親御さんと
子どもの会話をしたりしています。
日本ではマニュアル、絵を描くキッドを用意して
教室を開くことが多いので、
自由な発想が出来ない、
発想が豊かにならないのではないかと思います。
この目標に向かう資金つくりのため、
人に喜ばれるものをつくり販売をしていくことが
今の目標ですね。」
諸事情により irohan Kyoto さんのホームページは制作中ですが、
出来上がったら是非ご覧下さり、たくさん御意見、ご要望をお伝えください。
吉田さん、ホームページが出来上がるのを楽しみにしています!